船長が40歳を過ぎた頃、いよいよ世界一周を実現させるべく、そのための船を探し始めた。新艇など到底無理であるから、30フィートクラスの中古艇を探していた。いろいろ見ているうちに、ヴァンクーバーから世界一周をして日本に来た家族が船を売りたがっているというニュースが入ってきた。小学生低学年の男の子と幼稚園くらいの男の子を連れたお医者さんの家族で、仕事の関係で子ども2人と旦那さんは先にカナダへ帰り、奥さんが一人船に残っていた。

私たちは、予算内で思いがけず38フィートの船を手に入れることが出来て、有頂天だった。彼女がカナダに帰った時、船には子ども達が大事にしていたという、ミスターブラウンベアとミスターホワイトベアの2匹のぬいぐるみが残されていた。それは今も船の中で私たちを見守っている。

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船を手に入れてから、船の大改造をしたことは、前にも触れた。日本からアメリカへヨットで行った人は、堀江さんを始め大勢いるが、ほとんどは太平洋を直接西海岸に行っている。

私たちは、最初からアラスカ経由を考えていた。2ヶ月も陸を見ないで行くより、出来るだけ沢山寄って行きたいことと、気象・海象を考慮すると合理的なルートであること、最初の海外旅行の地アラスカには是非行きたかったからだ。

船長は、周到な計画を立てていた。そのために必要なものを買いに、2人でホンコン、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ボストン、ロンドン、パリと飛び回った。主に海図を手に入れるためだが、水路紙や航海のガイドブック、船の部品などを求めてだ。無寄港世界一周なら、ほとんど海図はいらない。しかし、港港を廻るには、膨大な数の海図が必要なのだ。船長は水路紙やガイドブックを英語の辞書を引きながら一生懸命勉強していた。おそらく海外を目指す「長距離航海者」としては、一航海が最も短いコースをたどる航海者だろう。

90年の11月末には、成田からダラス経由でニューヨークへ行き、12月2日にはロンドンへ行っている。そのロンドンへ行く飛行機で事件が起こった。突然人が亡くなったのである。勿論病死だが、飛行機は大西洋の真ん中で突然Uターンし、ニューヨークへ戻ってしまった。そこで亡くなった方を下ろし、再び飛び立ったのは、全てのフライトが終わってからの深夜だった。

次の日の朝、ロンドンに着き、ホテルに荷物を置くとすぐに目的の海図屋へ行き、夜は焼き栗を食べながらパブへ。翌日は船長はヨットショップ、私は念願のロンドン塔へ行った。1人で行くのは勇気がいったが、15,16世紀の歴史に興味を持っていた私は、どうしても行ってみたかったのだ。と言っても私はかなりの臆病者で、ホラーもお化け屋敷もジェットコースターも駄目である。実は船長もそうなのだが。でも、私は、絶対に霊や幽霊には出会わないと信じていて、ロンドン塔でも寒気さえしなかった。

ロンドンに3日、パリに3日だった。パリはボートショーが目的だった。さすが東京とは規模が違う。あらゆる物があり、特にいろいろなパーツがあるので、船長は大満足だった。そして屋台の生牡蠣、白ワインの美味しいこと。

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写真上  私たちは、そこで目的だったアクリルのドームを手に入れた。それはキャビンのハッチに付ける物で、それを付けると船室に居ても外を360°見渡せるのだ。

最後の日、パリ郊外クリニャンクールの蚤の市に行った。12月のパリは美しく飾られたシャンゼリゼ通りと澄んだ空気、底冷えのする寒さだった。